想い出の座間 軍事施設編

ページ番号1012468  更新日 令和7年9月18日

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「想い出の座間」は、書籍の「目で見る座間」をホームページに忠実に反映することを基本にしています。今回は、前回の「学び舎」に続き、「軍事施設」にまつわるコンテンツ紹介です。
内容は、陸軍士官学校移転前の風景、学校施設、高座海軍工廠に関する写真とコメントになります。

ダイジェスト版

写真:天神原の全景
陸軍士官学校移転前の天神原の全景
現在の北キャンプ一帯を通称テンジッパラ「天神原」と地元の人々は呼んでいた。
これは明治の末まで原の中ほどに天満宮が祀られていたからであり、ここを所有していた座間や入谷地区の人々にとって最高の畑だった。
写真:大講堂
陸軍士官学校大講堂
写真:道路の整備、建設
士官学校の建設に伴い、学校に通ずる道路の整備、建設が突貫工事で行われた。
工事には人手不足から写真のように厚木中学(現厚木高校)の生徒たちも勤労奉仕にかり出されている。
写真:座間駅に到着した生徒
座間駅に到着した生徒
昭和12年9月30日、生徒隊の主力1300名が座間駅(後に士官学校前、現在の相武台前)に到着した。
写真:卒業式
昭和12年12月20日、座間における最初の卒業式が天皇を迎えて行われた。これは日中戦争の激化により修学期間が短縮されたためで、第50期生地上兵科426名が卒業していった。
なお、この日、天皇から学校所在地に「相武台」の命名を賜った。
写真:高座海軍工廠
昭和16年、旧日本海軍は京浜地区の防衛のため綾瀬に厚木航空隊を、さらに隣接する栗原の東原一帯に高座海軍工廠を建設した。工廠建設用地は座間地区だけでも90町歩、海老名地区を併せると100町歩(89.3万m)を越えていたと思われる。
写真は昭和24年1月に撮影されたもので、まだ工場建物が残っており、その後、鉄骨で造られていた第1工場は蔵前国技館の建設用材として払い下げられた。
写真:雷電
雷電
この工場では、B29爆撃機の迎撃用として活躍した戦闘機「雷電」の組立、生産を行っていた。
写真は工廠内でテスト中の雷電。
(文林堂刊「航空ファン・世界の傑作機7集・雷電」より)

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