想い出の座間 昭和前期編
「想い出の座間」は、書籍の「目で見る座間」をホームページに忠実に反映することを基本にしています。今回は昭和前期を紹介します。
ダイジェスト版

改修前の町田街道と相模が丘
現在の小田急相模原忠実屋前の交差点付近から北東方を見たところ。左側の桑畑が静岡銀行、右側が辰街道、前方に行幸道路の工事が始まっている。昭和13年秋撮影。

小田急開通後、座間駅東の一帯に大規模な遊園地を作る計画をたて、用地の買収を行った。その敷地は、北は今の立野台小学校から、南は立野台の南端までのおよそ74町歩にもおよぶ広大な面積で、凹地の部分を利用して池を作り、周囲を環状道路で結ぶ計画だった。実際、ところどころにあずま屋などが建てられたり、昭和12年に駅名が座間遊園に改名されたが、戦時中にこの計画は断念されてしまった。写真の碑は、駅から天台線を上っていったところの、右側の小高い松林の中に建てられていたが現在はない。昭和15年ごろ。

昭和12年7月7日、蘆溝橋事件が起き、やがて日中戦争へ拡大し、国民生活全てに戦時色が強まった。そして、昭和16年12月には第二次世界大戦へと突入してゆく。
出征軍人の見送り 鈴鹿明神で行われた出征見送りの式典。

座間村女子青年会が、奥多摩旅行の記念写真を座問出身の兵士の慰問用にはがきにしたもの。
ここの写真には見れないが、左側に短歌二首が印刷されている。
をみな子は赤き心に祈るなり 晴のを護る 君の武運を
幾山河北にはなれてほこをとる 征衣の君を照らす月かげ
女子青年団員の作品であろうか。

昭和の初期は全国的に文芸活動が盛んで、各地で同人誌が刊行された。座間でも池上登氏松村松太郎氏などによって同人誌"銀河"が刊行された。写真は、その後に刊行された"オリオン"の同人たち。
以上はダイジェストとして掲載したものです。全体につきましては以下の添付ファイルをご覧下さい。
添付ファイル
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想い出の座間(昭和前期編) (PDF 6.1MB)
想い出の座間、昭和前期編の写真とコメントです。
(2025年9月4日作成)
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