市指定重要文化財(建造物、史跡)

ページ番号1003312  更新日 令和5年6月27日

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市指定重要文化財(建造物)

岩城常隆供養五輪塔(いわきつねたか くよう ごりんとう)

写真:岩城常隆供養五輪塔

  • 建立年代:寛文9年(1669年)または享保14年(1729年)
  • 所在地:心岩寺
  • 指定年月日:昭和42年5月11日

五輪塔(ごりんとう)は、鎌倉時代から江戸時代にかけて供養塔や墓碑として多く作られました。
本塔は心岩寺境内に埋もれていましたが昭和29年に発見されました。その際に、かろうじて読みとれた「己酉(きゆう・つちのととり)」によって建立年代が推定され、「前四品貫主松厳院殿最翁大居士」により岩城常隆の供養塔と判明しました。市内でも数少ない五輪塔の中でも、最も整った大きなものです。
岩城常隆は福島県の常盤(ときわ)(現:いわき市内)周辺を治めた豪族でした。
当時、常盤周辺では伊達政宗他の戦国大名が領地争いを繰りひろげていました。
こうした中、常隆は、豊臣秀吉の小田原攻めに際して出兵を申し出て許され、小田原に参陣しますが、帰途の6月24日に星の谷の里で急病のため24歳で没したと伝えられています。
この塔は、後世の追善供養の際に建立されたものと思われます。

石造大日如来座像(せきぞうだいにちにょらいざぞう)

写真:大日如来座像

  • 建立年代:天和3年(1683年)
  • 所在地:個人宅地内
  • 指定年月日:昭和43年3月27日

天和三年(1683年)建立。石質は、後世多用される「七沢石(ななさわいし)(角礫凝灰岩(かくれきぎょうかいがん)の一種)」ではなく、「安山岩(火成岩の一種)」を用いていることから経年による欠損などが少なく、市内のこの大きさの石像の中で最も美しく気品があります。


イラスト:石造大日如来座像 銘文1
銘文
(光背右側)
イラスト:石造大日如来座像 銘文2
銘文
(光背左側)

碑文にある「相州鎌倉郡」は、星谷寺(しょうこくじ)の影響を受けた建立であることが推察されます。
「座間郷宿」は現在の座間一丁目から二丁目の旧座間宿を指し、「同行十四人」は名が刻まれていませんが同地域の人々であると考えられます。

六字名号碑(ろくじみょうごうひ)

写真:六字名号碑

イラスト:六字名号碑 銘文
銘文(推読部分を含む)
  • 建立年代:元和4年(1618年)
  • 所在地:宗仲寺
  • 指定年月日:昭和44年6月24日

中世には各地に「板碑(いたび)」と呼ばれる細長い石の板で作った供養塔が建てられました。一方、庶民の墓標は現在も見られる木製の塔婆(とうば)が立てられることが多かったのですが、関東地方などでは段々と板碑を模した石造の墓標が個人の供養塔として作られるようになっていきました。
元和4年(1618年)に建立された六字名号碑は、これら中世と近世の特徴が共存しています。名号の下に蓮座(れんざ)が彫られ、幅や厚さにくらべ高さが高いのは板碑の形式の名残ですが、板碑のプロポーションにくらべるとはるかに厚みがあり、江戸時代中期の墓碑に近づいている様子がうかがえます。碑の頂部が屋根型なのは板碑と塔婆の形式が混合しているものとみられます。作風も堂々としていて、年号が明らかな市内の石造物の中で最古のものです。

蜻蛉灯篭(かげろうどうろう)

写真:蜻蛉灯篭

  • 製作年代:江戸時代初期?(1600年代前半)
  • 所在地:宗仲寺
  • 指定年月日:昭和44年6月24日

製作年代は江戸初期(1600年代前半)と推定されています。台座は後世に作られたものと推定されますが、他の部分はほぼ旧来の形をとどめています。
火袋(ひぶくろ)には対称の2面に窓が開けられ、その一窓の両側にそれぞれ径10センチの日と月の像が刻まれています。残り2面ははっきりと解かりません。また、心柱(しんばしら)にある銘文も判読は困難です。

神変大菩薩碑

写真:神変大菩薩碑

  • 建立年代:寛政12年(1800年)
  • 所在地:諏訪明神社
  • 指定年月日:昭和49年1月17日

我が国の山岳宗教の一つ、修験道の開祖と言われる役小角(えんのおづぬ)(役行者(えんのぎょうじゃ)とも)に、天皇より「神変大菩薩(じんべんだいぼさつ。座間では、「しんぺんだいぼさつ」と呼ぶこともあります)」の称号が贈られた際の記念碑と考えられています。
江戸時代には、幕府が修験者たちの定住を奨励したことから、その信仰が民間に浸透しました。このことから、役小角の死後1100年を迎えるとして寛政11年(1799年)に前述の称号が朝廷から下賜(かし)されたのです。


イラスト:神変大菩薩碑 銘文1
銘文
(右側)
イラスト:神変大菩薩碑 銘文2
銘文
(正面)
イラスト:神変大菩薩碑 銘文3
銘文
(左側)

本碑は県下でも例の少ないもので、貴重な資料であるとみられています。銘文中の「当寺」は諏訪明神社別当の新田山寿命院昌清寺(現:同社神官新田寿明家)。「圓隆(えんりゅう)」は同寺七世、大和国の葛城・大峰に二度入峰し修験道の研鑽を進める一方、寺子屋を開きました。
「圓隆謹書(えんりゅうきんしょ)」とあることから、この碑が圓隆と多数の信者により建立されたことがうかがわれます。

宝篋印塔(ほうきょういんとう)

写真:宝篋印塔

  • 建立年代:宝暦13年(1763年)/関東大震災(大正12年(1923年))に倒壊したものを復元
  • 所在地:星谷寺
  • 指定年月日:昭和53年12月23日

この塔は星谷寺観音堂正面右側の境内に建立されていて、近隣に類を見ない美しく壮大なものです。
もともと宝篋印塔は、釈迦の遺骨と仏教の真義を要約した「宝篋印陀羅尼経(だらにきょう)」を安置する塔としてインドに発生したものを起源とします。日本では、必ずしも宝篋印陀羅尼経を納めるものではなくなり、供養塔や墓碑として建立されるようになりました。
江戸時代中期になると特に大型のものが建立されるようになり、装飾を施されることも多くなりましたが、この塔もその一例で当時の特徴をよく備えています。


イラスト:宝篋印塔 銘文1
銘文(塔身・下の正面)

銘文中の「鎌倉郡座間郷」とあるのは、星谷寺にかかわる石造物に類例が見られるもので江戸時代初期の幕府への寺領報告の中でなされたものがそのまま継承されたものではないかと考えられます。
「昭陽(しょうよう)」は癸(き・みずのと)、「協洽(きょうこう)」は未(み・ひつじ)、「値」は建、「幻」は現と同じで、「密寺」は真言宗の寺のことです。

銘文中の梵字(ぼんじ)が意味するところは、それぞれ次の通りです。
(梵字) (1)観音菩薩(かんのんぼさつ)
(梵字) (2)阿弥陀如来(あみだにょらい)
(梵字) (3)勢至菩薩(せいしぼさつ)

このほか、塔身・上にも、次の梵字が記されています。
正面(西) キリーク 阿弥陀如来
左側(北) アク 不空成就如来(ふくうじょうじゅにょらい)
右側(南) タラーク 宝生菩薩(ほうしょうぼさつ)
裏面(東) ウーン 阿閦如来(あしゅくにょらい)

イラスト:宝篋印塔 銘文2
反花座正面

これらの仏は中心の大日如来(だいにちにょらい)(バン)とともに寺を守護するものとされています。
なお、塔身・下の三面には、1行16文字で31行の文と1行12文字の偈(げ)が刻まれ、衆生安楽(しゅじょうあんらく)を願う造塔の趣旨が述べられています。
また、台座にもおおよそ120名の人名、戒名28霊、庵名4などが刻まれています。

寺子屋師匠 保田安兵衛の供養塔(てらこやししょう やすだやすべえのくようとう)

写真:寺子屋師匠 保田安兵衛の供養塔

  • 建立年代:宝暦8年(1758年)
  • 所在地:浄土寺
  • 定年月日:平成19年8月20日

この碑は座間市内では寺子屋の様相を知る資料として最も古いものの一つです。
寺子屋師匠の保田安兵衛(因幡国(いなばのくに)=鳥取県出身)にかかわるもので、生前の師匠の徳をしのび、教え子である筆子(ふでこ)たちが七回忌にあたる宝暦8年(1758年)に建立したものと考えられます。
なお、没日はお寺の記録では「廿日」となっています。


イラスト:供養塔 銘文1
銘文
(右側)
イラスト:供養塔 銘文2
銘文
(正面)
イラスト:供養塔 銘文3
銘文
(左側)

市指定重要文化財(史跡)

鈴鹿横穴墓群(すずかおうけつぼぐん)※現在、崖面崩落中のため、見学できません。

写真:鈴鹿横穴墓群
横穴墓入り口の現状
(普段は内部保護のため閉鎖)
  • 構築年代:7世紀~8世紀ごろ
  • 所在地:入谷西
  • 指定年月日:昭和42年3月27日

明治24年(1891年)に発見され、所有者によって大切に保管されています。
昭和29年(1954年)に調査が行われました。
周囲には根下横穴墓群、梨の木坂横穴墓群などの存在が確認されています。

 

梨の木坂横穴墓群(なしのきざかおうけつぼぐん)

写真:梨の木坂横穴墓群
第1号羨門部
  • 構築年代:7世紀~8世紀ごろ
  • 所在地:入谷西
  • 指定年月日:昭和49年1月17日

鈴鹿横穴墓群と根下横穴墓群の中間に位置しています。
かつては一つの大きな横穴墓群だったものが、道路工事や宅地化によって分断されたものと考えられます。
これらの横穴墓群の総数は50基以上と思われ、梨の木坂横穴墓群としては10基を数えると推定されます。
一号横穴墓の床にはにぎりこぶし大の礫(れき)が敷き詰められ、奥壁の手前に大型の礫を並べて羨道(せんどう)(狭い通路)と玄室(げんしつ)(遺体が葬られる部屋)を区別しています。玄室内から人骨とガラス製玉8個および鉄鏃(てつぞく)(鉄製のやじり)が検出され、羨道部からは刀装金具が、墓道からは底部に穿孔のある長頸瓶(ちょうけいへい)が出土しました。
二号横穴墓は礫床(れきしょう)で、玄室と羨道は区別されていません。奥壁近くから人骨およびガラス製小玉100点以上と金環(きんかん)など2点が出土しました。
これらの横穴墓は羨門の外側周囲の石積みがよく残されています。これは、相模川中流域に見られる特徴とされています。

鈴鹿遺跡(住居址及び遺跡包蔵地(じゅうきょしおよびいせきほうぞうち))

イラスト:鈴鹿遺跡

  • 年代:紀元前1500~2000年
  • 所在地:鈴鹿明神社
  • 指定年月日:昭和57年1月25日

この遺構(いこう)は昭和37年8月に発掘調査が行われ、約3500~4000年前の縄文時代後期(堀之内式期)に作られた「平地式住居址(し)」であることがわかりました。
住居址の西側大半が神社本殿下に存在することから形や大きさの全てはわかりませんが、方形または長方形と推定され、厚さ10センチメートルにわたって赤土などが敷き詰められていました。
検出された住居址東辺部の長さは3.8メートルで、中央部付近には内側に10~40センチメートルの転石が見られます。長さ1.9メートル・幅34センチメートル・深さ30センチメートルの溝が存在し、東辺部の北角には径22センチメートル・深さ41センチメートル、南角には径25センチメートル・深さ33センチメートルの柱穴がそれぞれ掘られています。
炉址(ろし)は遺構の中央からやや北側に6個の河原石を使った径40センチメートルの円形の石囲炉が設けられています。
平地式住居址は地面を掘りくぼめた「堅穴住居址(たてあなじゅうきょし)」と異なり、地面の上に土を敷き詰めて床を作っているもので、発見例は少なく貴重なもので、遺構は現在埋め戻され、保存されています。

相模野基線南端点

写真:相模野基線南端点2

写真:相模野基線南端点1

  • 設置年代:明治10年代
  • 所在地:ひばりが丘一丁目
  • 所有者:個人および国土地理院
  • 指定年月日:平成23年10月25日

※標石頂部は正方形で、頂部に十文字が刻まれています。

相模野基線南端点(一等三角点「座間村」)は明治15年(1882)に当時の陸軍省参謀本部測量課(後に陸地測量部、現在の国土地理院)が全国の三角測量を実施するために設置したもので、日本の測量や地図を作る上で重要な役割を果たした、最古の端点の一つです。
相模野基線には、この北西方向約5.2kmに相模野基線北端点(一等三角点「下溝村」 相模原市南区麻溝台4丁目 相模原市指定文化財:史跡 平成13年指定)があります。
当時の測量は、三角測量という角度を測るものでした。角度を測るだけでは三角形の大きさが決まりません。そのため、一辺の長さを正確に測定し三角形の他の辺の長さは計算しました。「座間村」と「下溝村」は、この一辺の端点であり、この辺長測量のことを基線測量といいました。相模野基線を三角形の一辺として、一等三角点「長津田村」(現横浜市緑区長津田)および一等三角点「鳶尾山」(現厚木市)を頂点とする三角形が形成され、その後、全国の一等三角点網は、大正2年(1913)に完了し、二等、三等三角点の整備も進められ、大正13年(1924)には全国を網羅する縮尺5万分の1地形図がほぼ完成しました。
この相模野基線南端点は民有地にあり、所有者の長年の御理解により大切に保存されています。

基線中間点

写真:基線中間点

  • 設置年代:明治30年代
  • 所在地:相模が丘二丁目
  • 所有者:座間市および国土地理院
  • 指定年月日:平成23年10月25日

※道路上に「相模野基線中間点 建設省国土地理院」と記されたマンホールがあり、その下に標石が設置されています。頂部は正方形で先端に真鍮のキャップがかぶされています。

「基線中間点」(四等三角点)は相模野基線上の座間市相模が丘二丁目17番地先の道路マンホール下に設置されています。こちらは、明治35年(1902)、当時の測地学委員会によって設けられたものです。
相模野基線では、測量技術の進歩とともに数回にわたり測量が行われているほか、大正12年(1923)の大正関東地震や平成23年(2011)の東北地方太平洋沖地震の地殻変動による地形変化の様子を知るための観測も行われ、現在も重要な役割を果たしています。
なお、相模野基線は、平成22年(2010)12月に公益社団法人土木学会により選奨土木遺産として近代の重要な土木遺産としても認定されました。

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