郷土の先人に学ぶ

ページ番号1008728  更新日 令和5年7月10日

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鈴木利貞「心豊かな教育を目指した幼年会」

鈴木利貞さんは、子どもの自立を促す「幼年会」をつくりました。年長者をリーダーとして年少者の指導にあたらせるなど、人づくり、地域づくりなどの点から日本教育史上高く評価されています。
幼年会で子どもたちが約束した「柿の木の下の誓い」は、現在の「ざまっ子八つの誓い」に発展しました。

庵政三「地域医療に尽くして」

国立相模原病院の医長だった庵政三さんは、昭和21年に、狭い自宅で医院を開きました。
貧しい人々のために低料金で診察し、夜中でも往診しました。そんな庵医師を記念する胸像が、多くの人々の献金により市民健康センターの玄関わきにつくられました。

高松ミキ「座間村女子青年会を育てる」

幼年会で育った高松ミキさんは、女子青年の教育に愛と情熱を注ぎ、一人一人の心に行き届いた活動により女子青年の意識を高め、自ら向上するように導きました。
「女子青年会」は昭和2年には文部大臣表彰を受け、全国から視察に来るほど評判となりました。

村上ミキ「未来を子どもたちに託して」

アメリカでホテルを経営していた村上ミキさんは、昭和26年に故郷の座間を訪れ、子どもたちのために多額の寄付をしてくれました。
当時、設備の足りなかった小学校では、ピアノ、図書、ノートなどを買うことができました。飴玉も送ってくれました。

本多愛男「大凧まつりを未来へ」

青年団リーダーだった本多愛男さんは、戦時中に一時中断していた大凧揚げを真っ先に再開させました。
高度経済成長期に入り、凧の作り手、綱の引き手が減り、大凧揚げの場所確保も難しくなる中、熱意をもって座間の大凧の伝統を守り抜きました。

大矢弥一「弥一、黒船を見て学校を作る」

大矢弥一さんは栗原村の大地主であり、農産物を扱う商人でした。教育にも熱心であり、黒船来航により激変する未来を予見して、私財を惜しまず、栗原に学校をつくろうと思いました。そんな弥一の遺志は孫に受け継がれ、実現しました。

瀨戸吉五郎「座間の生糸を世界へ」

養蚕農家に生まれた瀨戸吉五郎さんは、自ら研究して良い生糸の繭を作る蚕の品種「座間ブランド」の開発に成功し、生糸の生産を向上させました。
明治42年には日本の生糸の輸出量は世界一位となるなど日本の近代化を支えました。

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