令和5年度(7月)第1回企画展示実施報告

ページ番号1009049  更新日 令和6年3月2日

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令和5年度第1回企画展示「座間に鉄道が走った日」

写真:第1回企画展示会「座間に鉄道が走った日」のポスター

令和5年7月26日~8月10日に、小田急線と相模線が誕生した大正末・昭和初期の歴史を、古文書や古写真などを通じて紹介する展示企画を開催しました。
市内沿線にお住まいの旧家に残された貴重な歴史資料を市民の皆さんのお目に掛けるとともに、100年前の座間の人々が遭遇した鉄道開通という一大事を4章構成のパネル展示にまとめました。
なお、『座間市史資料叢書』第10巻の刊行に併せて、展示開催期間には昭和初期の座間地域における鉄道敷設をテーマとした郷土講演会も実施しました。

第1章「鉄道敷設事業の展開」

小田急鉄道の路線計画

写真:第1回企画展示会「座間に鉄道が走った日」の展示品1

路線の開通を目前に控えた座間村には、小田急の駅員養成所が設けられ、開業当日に向けた準備が進められていきました。
写真は、入所式の様子を伝える地元紙・横浜貿易新報(現・神奈川新聞)の記事です。

第2章「開通の日~そのとき、座間村民は~」

昭和2(1927)年4月1日-小田急小田原線開通-

写真:第1回企画展示会「座間に鉄道が走った日」の展示品2

現在も小田急の主力路線として運行されている小田原線は、昭和2(1927)年4月に全線開通となりました。
上に掲げた絵図は、市内河原宿在住の谷田輝行氏の手により記されたもので、開通当時の沿線地域の様子が伺えるものとなっています。
なお、「中原座間停車場」は現在の相武台前駅のことです。

第3章「埋もれた鉄道の歴史」

知られざる座間の鉄道物語

写真:知られざる座間市域の鉄道計画

座間線の構想は、大正末年より三度にわたって計画され、全国の鉄道会社を所管する鉄道省(当時)に事業申請書を提出するなど、一時は実現寸前まで進んだ計画でした。
現在、国立公文書館が所蔵する「鉄道省文書」の中には、座間線の路線経路を記した地図(上記画像)が存在し、通過予定の経路と停車場の名前が赤字で書き込まれています。

第4章「いまを生きる鉄道史跡」

昭和を駆け抜けた鉄道遺構の現在

写真:市内各地に残る鉄道史跡の痕跡

第4章では、市内各地に残された鉄道関連史跡の痕跡をいくつかご紹介しました。
相模鉄道による入谷貨物停留場(現・JR相模線入谷駅)付近の「砂利引込線跡」や、昭和17(1942)年に廃駅となった幻の駅「本座間停留場跡」など、かつての鉄道の面影を忍ばせる遺構は身近なところに存在しています。
写真は、小田急線座間駅のホーム中央付近(登戸・新宿方面)に残る「座間停留場中心」の標柱です。

会場アンケートQ&A

小田急小田原線が中心地であった座間1・2丁目の地域を通らなかったのはなぜでしょうか?

写真:第1回企画展示会「座間に鉄道が走った日」の展示品3

小田急が沿線各地の自治体との間に路線敷設のための交渉を開始したのは、大正13年(1924)のことでした。旧座間村公文書(座間市教育委員会所蔵)の中には、同年3月7日付で小田急が発した通知書が残されており、「東京小田原間電気鉄道敷設事業準備ノ為メ」に土地測量を実施すると記されています(上記画像参照)。
また路線計画の段階では、小田急小田原線は現在の相武台前~座間駅ルートではなく、栗原に駅を設置する予定だったようです。これに対して、新駅誘致を目指す「座間付近ノ運動」があり、最終的には座間地区寄りの現経路に変更されることとなりました(谷田睦美家文書)。
座間1・2丁目が経路上に含まれなかった理由は定かではありませんが、当時同地域には相模鉄道(現JR相模線)による路線敷設の事業計画がすでに進行中で、敷設地域の重複を避けるために市域の東側を通ることになった可能性が考えられます。
相模鉄道敷設の経緯については「座間市史資料叢書10 谷田睦美家文書」に収録した「本座間駅ノ出来ルマデ」に詳しく記されています。

写真の説明文に「ナベトロ」(砂利採取軌道)とありましたが、なぜこのような名前が付いたのかを知りたいです。

写真:第1回企画展示会「座間に鉄道が走った日」展示品4

「ナベトロ」という名称は、砂利の積み込みに使用された貨車の形状が鍋の釜のような形をしていたことに由来するといわれています。
また、「トロ」とは川砂利の運搬に用いられたトロッコ式の軌道線(トロリー軌道)を指す言葉で、地域の人々には「ナベトロ」の愛称で親しまれました。上記の写真の後ろに見える橋がトロッコ軌道の一部と考えられています。
なお、市内の砂利軌道はその目的や立地に応じて、新田宿・四ツ谷地域を中心に複数の路線が存在したと考えられ、これら軌道の名残と見られる遺構は現在も四ツ谷・入谷地域に点在しています。

座間遊園の建設計画の経緯や完成予想図面などを見てみたいです。

写真:第1回企画展示会「座間に鉄道が走った日」の展示品5

座間遊園の建設計画は、小田急鉄道社長の利光鶴松が座間村長稲垣許四郎(当時)に宛てた大正14年6月の書簡においてすでに言及されています。当時、小田急は沿線各地で遊園地の造成計画を進めており、座間遊園もそうした沿線開発事業の一環として構想されたと考えられます。
今回の展示にも登場した「昭和三年春 座間村略図弐万分ノ一」(谷田睦美氏所蔵文書・上記写真)では、小田急小田原線開通の翌年時点での建設予定区域が示されていますが、座間遊園に関する平面図はこの他にも残されており、当時の様子を伺うことができます。

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