令和4年度(3月)第3回企画展示「よみがえる縄文時代」

ページ番号1008553  更新日 令和5年6月27日

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令和5年3月8日(水曜日)から3月14日(火曜日)までハーモニーホール座間常設展示室で、市内の遺跡から出土した縄文時代の土器・石器の展示をしました。今回は、考古学や縄文時代への興味・関心の入口となるような展示を目指しました。
開催に当たり、座間ふるさとガイド会に展示案内をご協力いただきました。また、短い会期の内に800人近くのご来観者に足をお運びいただけました。

第1部

縄文人の生活(1)

写真:縄文石器の展示
左から順に、石鏃(せきぞく)、打製石斧(だせいせきふ)、石皿(いしざら)・磨石(すりいし)

縄文石器は縄文人の狩猟採集生活を支えた道具です。
縄文石器は数種類あり、縄文人は巧みに石材を加工して使用用途・機能に適した形状に製作しました。
特にこの展示コーナーの左端の石鏃(せきぞく)は、獣を効率的に狩るために縄文時代以降に発達した弓矢の一部に装着されました。

縄文人の生活(2)

写真:縄文土器の展示
深鉢形土器(ふかばちがたどき)9点と、手前に注口土器(ちゅうこうどき)1点

大小の縄文土器は、基本的には煮沸道具(お鍋)であると考えられています。
文様や形態もさまざまで、縄文土器の個性の豊かさが伝わります。日常生活の必需品であると共に、縄文人の精神文化も窺い知れる縄文時代を代表する遺物です。
一点だけ逆様になっている深鉢形土器は、埋甕(うめがめ)と呼ばれている出土状況を示し、底にあたる部分には穿孔されているため、煮沸道具としての機能とは異なる使用がされたと推定されています。

第2部

縄文人の心(1)

写真:縄文人の遺物の展示
縄文人の精神文化に関係する遺物を展示するコーナー

縄文人の精神文化を示す道具は、あえて時間をかけて丁寧に研磨や造形の工夫をしたり、当時の最先端技術を駆使して穿孔した、石製品と呼ばれる希少な遺物が中心となります。
特に、「ヒスイの太珠」と呼ばれる石製品は、石材の希少性もさることながら、出土数も少なく、縄文ムラにいた「特別な人物」が身に着けていたと考えられています。
こうした希少な遺物は、縄文人に「特別な人物」への眼差しという共通の意識を与え、集団で定住生活を円滑に送るキーアイテムであったと思われます。

写真:ヒスイの太珠

「ヒスイの太珠」と銘打ったこの遺物は、縄文人が身に着けたと推定されるヒスイ製の垂下りです。
ヒスイの日本列島における原産地は主に新潟県糸魚川市の姫川流域であり、同様の成分であるこの遺物も同地で産出されたと推定されます。
また、ヒスイは東日本の各所で出土が確認されており、「ジェイド・ロード」と呼ばれるヒスイの交易路が想定されるようになりました。この遺物もジェイド・ロードを通り座間の地へ運ばれた可能性があるとみられます。

縄文人の心(2)

写真:ざまりんと顔面把手(両面)
ざまりんが覗いているのは、顔面把手(両面)を360度鑑賞できる展示コーナー

ざまりんが見つめている、かわいい顔の遺物は、顔面把手(がんめんとって)と呼ばれている、深鉢形土器の装飾の一部分です。丁寧に造形された顔面はとてもリアルな表情をしています。

写真:顔面把手(両面)の外側正面

実はこの遺物は、顔が両面に(深鉢形土器の外側と内側を向く顔の両面に)丁寧に造形されているという点で、中空で大形化した顔面把手としては、全国的に見ても珍しい出土品です。
深鉢形土器の装飾部分としては、煮沸道具という道具の元々の使用用途・機能と適合しないため、縄文人の儀礼や祭祀の際に使用されたのではないかと推測されています。

この遺物の詳細は、下記「刊行物」または下記関連情報「市内初『顔面把手(両面)』が出土しました」をご覧ください。

刊行物

2023「覚書 蟹ケ澤遺跡出土『顔面把手(両面)』」座間むかしむかし第四十五集、座間市教育委員会

関連情報

添付ファイル

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