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市指定重要文化財(古文書、書跡)

2020年2月3日更新

★市指定重要文化財(古文書)

星谷寺文書(しょうこくじもんじょ) 四通

  • 所在地:星谷寺
  • 指定年月日:昭和40年5月10日


 星谷寺所蔵の文書4通は、戦国時代、北条氏支配末期の資料です。
 4通のうち3通は、寺領(じりょう)での竹木の刈り取りや不法行為を禁止するという内容で、古刹(こさつ)・星谷寺の寺領の保護に関わるものです。当時、星谷寺が大きな寺領を有し、支配者である北条氏や豊臣秀吉から一目を置かれた存在であったことを物語っています。
 読み下しなどについて、より詳しくは座間市発行の『「座間市史」1 原始・古代・中世資料編』をご参照ください。
(1)北条氏照印判状 498ページ (No.122)
(2)北条氏禁制 494ページ (No.120)
(3)豊臣秀吉掟書 527ページ (No.138)
(4)北条氏照制札 464ページ (No.107)

(1)北条氏照印判状 (印文は不詳)
 

写真:北条氏照印判状
画像:北条氏照印判状


【読み下し】
 右意趣(いしゅ)は、星谷寺観音堂屋形(やかた)様毎度のご陣たるの間、由井(ゆい)領に於いて、夏秋両度の勧進(かんじん)()って、上葺(うわぶき)ならびに造作(ぞうさ)、当年中に致し立てらるべく候。其のため御印判を押さるるの旨、仰せ出ださるもの也、()って(くだん)(ごと)し。
 (うるう)三月六日   一菴(いちあん) これを(うけたまわ)
 星谷寺別当


(2)北条氏禁制 (禄寿応穏印)
 

写真:北条氏禁制
画像:北条氏禁制


【読み下し】
 右、当寺に於いて竹木(ちくぼく)仮初(かりそめ)にも()るべからず。(そう)じて、横合非分の輩これ有らば、披露せしむべきの旨、仰せ出さるるもの也。()って(くだん)(ごと)
 天正三年(1575年)乙亥(きのとい)三月五日 江雲これを(うけたまわ)


(3)豊臣秀吉掟書 (印分未詳朱印)
 

写真:豊臣秀吉掟書
画像:豊臣秀吉掟書


【読み下し】
相模国
  星谷寺
  座間七ヶ村
一つ、地下人(じげにん)百姓等、急度(きっと)環住(かんじゅう)すべき事。
一つ、軍勢甲乙人(こうおつにん)、百姓の家に立ち帰り、陣取りすべからざる事。
一つ、寺家門前の輩に対し、非分の儀申し()くる(やから)これ有らば、一銭切りたるべし、ならびに麦も苅り取るべからざること。
右、()し違犯の輩に於いては、(たちま)ち厳科に処せらるべきもの也
   天正十八年(1590年)四月日


(4)北条氏照制札 (如意成就印)
 

写真:北条氏照制札
画像:北条氏照制札


【読み下し】
 右、星谷寺山の竹木切り取る事、堅く停止せしめ(おわん)ぬ。此の旨を背く輩に於いては、罪科に(しょ)せらるべきもの也。()って(くだん)(ごと)
  丑(永禄八年(1565年))四月二十六日
   星谷寺

 

鈴木家鍛冶文書(すずきけかじもんじょ) 四通

  • 所在地:個人所有
  • 指定年月日:昭和41年5月17日


 鈴木家に伝わる文書です。
 これらの文書は、当時、鈴木家が生業としていた「鍛冶」にかかわる身分の保障や税金を免除する代わりに公務を怠りなく務めるように命令したものです。
 また、近年の研究成果から、鈴木家と八王子の下原鍛冶(したはらかじ)(中世から近世にかけて勢力のあった鍛冶集団)との関係がうかがわれます。
 なお、同家には脇差二振も伝えられており、いずれも市の重要文化財に指定されています。「美術工芸」のページもあわせてご覧ください。
 読み下しなどについて、より詳しくは座間市発行の『「座間市史」1 原始・古代・中世資料編』をご参照ください。
(1)綱周名字状 426ページ (No.87)
(2)道俊書状 428ページ (No.88)
(3)北条氏照印判状 454ページ (No.104)
(4)北条氏照印判状 466ページ (No.109)

(1)綱周名字状
 

写真:綱周名字状
画像:綱周名字状


 天文十四年(1545年)の文書です。文中の「綱周」とは大石縄周(「つなちか」、または「ただちか」)のことで、本文書により北条氏のもとで座間一帯を治めていた大石氏が鍛冶の鈴木家を鍛冶師として公認した証しである名字を授けていたことがうかがわれます。


(2)道俊書状
 

写真:道俊書状
画像:綱周名字状 画像:綱周名字状
(ウワ書き)


【読み下し】
(ウワ書き)
眞■り
■■中務丞殿(なかつかさじょうどの) 道俊(どうしゅん)

(本文)
 鍛冶又四郎、此方(こなた)へ出、座間に居住せしめ候、然る処方々の鍛冶ども、郷中へ越し候由申し候、相似合の役をいたさずば、又四郎下りたるべく候、此の旨鍛冶に知らせなさるべく候、恐々謹言

 「ウワ書き」にある「中務丞殿」とは、この書状の宛所で、北条氏の下で当時の座間を治めていた小領主または代官と思われますが、詳細は不明です。
 差出人である「道俊」とは、八王子市瀧山城の城主である大石定久の入道名です。
 この文書の年号については不詳ですが、大石道俊の没年(天文18年/1549年)頃に出されたものと推定されています。


(3)北条氏照印判状(如意成就印)
 

写真:北条氏照印判状(如意成就印)
画像:北条氏照印判状(如意成就印)


【読み下し】
 屋敷分、前々の如く相拘(あいかか)え、公方(くぼう)御用を走り(めぐ)るべきの由、仰せ出ださるるもの也。()って(くだん)(ごと)し。
 壬戌(みずえのいぬ) 八月十五日   藤曲(ふじまがり) (うけたまわ)
   鈴木弥五郎殿


(4)北条氏照印判状(如意成就印)
 

写真:北条氏照印判状(如意成就印)
画像:北条氏照印判状(如意成就印)


【読み下し】
 棟別銭(ならび)に諸役御赦免候、公方御用無沙汰なく走り(めぐ)るべし。()れば、年々(やり)二丁づつ(進納すべきの旨)仰せ出ださるるもの也、()って(くだん)(ごと)し。
 (うし) 十二月三日 近藤これを(うけたまわ)る。
 座間 鈴(木弥五郎殿)

 

大矢家文書(おおやけもんじょ)

写真:
鷹狩り文書の一部
享和3年(1803年)の鷹狩りにかかわる帳面
  • 所在地:栗原中央
  • 指定年月日:平成16年10月8日


 大矢家は、旧栗原村の名主を代々勤め、多数の古文書が伝えられています。指定された文書群は3,000点以上に及びます。
 資料は江戸時代のもので、当時の村の公文書(地方文書(じかたもんじょ))が大半を占め、村政・年貢・交通など村の運営全般にわたる様子をうかがい知ることができます。中でも、鷹狩りと鷹場管理に関わるものは関東地方では有数のもので、貴重な資料群です。
 現在は、座間市教育委員会が寄託を受けて保管しています。

 

飯島家文書(いいじまけもんじょ)

写真:
享和年間(1801年~1804年)の裁許絵図
  • 所在地:入谷西
  • 指定年月日:平成16年10月8日


 飯島家は、旧座間入谷村の名主を代々勤め、約700点に及ぶ資料が伝えられています。
 指定された文書群は江戸時代の村の公文書(地方文書(じかたもんじょ))で、当時の村の様子や治世を物語る重要なものであり、代々大切に受け継がれてきたことにより良好な保存がなされている貴重な資料です。

 

★市指定重要文化財(書跡)

◆写経 (紺紙金泥巻子仕立(こんし こんでい かんすじたて))

写真:写経 (紺紙金泥巻子仕立)
  • 製作年代:鎌倉時代中期
  • 所在地:円教寺
  • 指定年月日:昭和43年3月27日


 寺伝では、日蓮上人が「龍の口法難(たつのくちほうなん)(文永8年/1271年)」に際して、所持していたものと伝えられており、寺宝として同寺に受け継がれてきたものです。
 制作年代は寺伝とほぼ同時期と推定されています。

 

◆栗原学校扁額

写真:栗原学校扁額
  • 製作年代:明治10年代初期
  • 所有者:座間市教育委員会
  • 指定年月日:平成23年3月31日

 幕末から明治時代に活躍した山岡鉄舟が明治10年代(1877~1887)初期に揮毫したもので、明治12年に旧栗原村の豪農大矢弥市(7代目)と村民が協力して開校した「栗原学校」(栗原小学校の前身)にかかわるものと伝えられています。
 大きさなどは、次のとおりです。
額装(アクリル板入り) 材質:紙本墨書、宣紙 額外 縦93cm、長さ267cm 額面 縦60cm、長さ210cm
 


 

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生涯学習課 市史文化財担当
〒252-8566  座間市緑ケ丘一丁目1番1号
電話番号:046(252)8431
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